欧州の将来およびドイツ・フランスの協力関係

2001年1月30日、フライブルク大学のフランス・センターにおけるドイツ連邦外相ヨシュカ・フィッシャーの演説

講演内容を有効とする!

呼びかけ、

明日、シラク大統領、ジョスパン首相、シュレーダー・ドイツ連邦首相、および両国の外相がここからほど遠からぬストラスブールで会談を行うことになっています。明日私たちが協議しようとする内容を本日私が先取りする形で申し述べることはできず、また許されないことを、聴衆のみなさまはきっとご了解くださるものと思います。ですから、フライブルク大学のフランス・センターが政治的意図なしに日取りを定めたこの講演においては、明日のことに思案をめぐらすのではなく、その反対に、ドイツ・フランス間の協力関係、およびその欧州の将来における意義に関し、若干の基本的な考察を行い、みなさまと議論したく思います。

ライン河のこちら側でも向こう側でも、ニースの欧州理事会以降この数週間、どの国が勝者で欧州の重心がどのように移動したかなどと、ジャーナリズムにおいてさまざまに解釈されたりささやかれたりしています。

私はこうした解釈に何ら意味を認めません。このような見方は後ろ向きのものであり、欧州を前進させることにはならないからです。また、ニース首脳会議に関するこうした解釈はまったくの誤りであるからです。多くの事柄がいっしょくたに扱われ、特にドイツ・フランスの協力関係と欧州統合プロセスの性質が完全に誤解されています。また、今後はドイツが一層フランスを頼ることになるのか、あるいはフランスがドイツを頼りとせねばならないのか、それともこの関係は昔は違っていたのか、などという問いも、きわめて誤解を招きやすい問いかけです。

ヨーロッパは独仏協調、すなわちわたしたちの密接な協力関係の上に成り立っています。この関係はほかに代えることのできない重要なもので、今後とも欧州統合の将来にとってその重要性は変わることがありません。なぜ両国の関係が重要なのかを理解するためには、1989年以降ヨーロッパ、ドイツおよびフランスにとって何が変化し、何が今日まで有効性を保っているのかを丹念に検証する必要があります。なぜなら、冷戦の終結とともにそれまで固く凍結していたヨーロッパ中央の政治的風景が動き始めた1989年という年は、われわれの大陸の政治情勢に「地殻変動」が起きた年であるからです。

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1989年以前はどうだったのでしょうか?二人の偉大なフランスの欧州人が、ヒトラー・ドイツによって廃墟と化した1945年以後のヨーロッパに根本的な新生の好機を認めたのです。ジャン・モネとロベール・シューマンです。二人の統合の原則は、各国の勢力の均衡というシステムと、このシステムが孕むヨーロッパ大陸における戦争の大きな危険性を克服するものでした。この旧来のシステムにおいては、ドイツははじめて国民国家を建設して以来、危うい勢力均衡にとっては常に大きすぎ、覇権を握るには小さすぎる存在であったのです。創立6ヶ国の主権の一部を欧州統合の中で、最初は欧州委員会の前身である、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の「上級官庁」の中で束ねるという手法は、政治上「革命的」業績です。この統合プロセスに加わった国家と国民には50年以上にわたり自由と平和、それに前例のない繁栄がもたらされました。

70年間に3度も彼らの国を戦火に陥れた「宿敵」ドイツと、言葉の最良の意味で「協力」し、欧州統合を進めるというフランスの戦略的展望と政治的勇気は、その意義の大きさから、どれほど評価しても評価しすぎることはありません。これは、1945年以降もヨーロッパに関わるというアメリカ合衆国の決定とともに、19世紀以降ヨーロッパに限りない苦しみをもたらし、二度の世界大戦を引き起こした歴史的にきわめて危険な問いに対する回答であったのです。すなわち「ドイツはどこに位置するのか?」という問いです。ランスの大聖堂でのドゴール大統領とアデナウアー首相の写真は、ナショナリズムの時代の災禍を乗り越える欧州統合の理念の勝利を象徴するものでした。

1989年以降何が変わったのでしょうか。鉄のカーテンとベルリンの壁の崩壊とともに、欧州統合が力ずくで西欧に限定された状況が消滅し、旧西ドイツの存在が過去のものとなったのです。ドイツはそれ以来、強い熱意を持って中欧および東欧の国民の欧州連合加盟に尽力してきました。なぜなら「ドイツはどこに位置するのか?」という昔からの問いに対し、統一ドイツは欧州連合の東方拡大により、その東方においても永久かつ不可逆的な回答が与えられるからです。つまりドイツは、分断されない統合ヨーロッパの中で、もはや不動の国境線の間にその場所を見出したのです。ポーランドのNATOとEUへの加盟は、ドイツの視点からは、ヴィリー・ブラント元首相が30年前ワルシャワのゲットー追悼碑の前で跪いた行動に象徴的に始まる政策の成就を意味します。 

しかし、ドイツにとってEU拡大がこのような意義があるからといって、東方拡大はとりわけドイツのプロジェクトであると結論を下すのは大きな誤りです。1963年に次のようにきわめて明快に述べたのはフランス人のロベール・シューマンでした。「我々は統一ヨーロッパを自由主義体制の国民の利益のみを目的に創立してはならない。東ヨーロッパの国民もこの共同体に加盟できるように構想せねばならない。彼らが今の桎梏から解放されたあかつきには、自らの共同体加盟と我々の道義的支援を請願できるような統一ヨーロッパを創立しなくてはならないのだ。」この自由で分断されないヨーロッパとその拡大を支援することが今日なおフランスの政治を特徴付けています。

EU拡大は歴史的好機であると同時に政治的必然でもあります。EUが中欧と東欧の民主主義国家に対して加盟を拒むことは、統合の理念そのものを確実に空洞化し、最終的には崩壊させる危険性を孕みます。ナショナリズムを志向する旧来の勢力均衡システムと古典的な利害政治に中東欧の国々を委ねてしまえば、ヨーロッパを将来にわたって不安定な大陸にすることになります。私たちに対する警告はもはやバルカン戦争で充分です。EU拡大はそれゆえ、現在と将来の加盟国すべてに対し、一層の安定と一層の繁栄を意味するのです。

統一を志向するヨーロッパは最初にパリで構想され、当初からフランス的特徴を与えられました。これは将来の拡大した欧州でも変わらないことでしょう。中欧・東欧の国々に対し、欧州統合を魅力的なものにしているのは、フランス革命と啓蒙の時代の価値観なのです。すなわち自由、平等、博愛です。法の支配、加盟国の小国と大国間の平等、富者と貧者の間の連帯。これらが加盟候補諸国をEU加盟へと努めさせている魅力なのです。EUの歴史の中でフランス的特徴を強く与えられた価値観であり機構なのです。ヨーロッパの価値共同体、すなわち今日では私たちにとって自明のこととなっている人権は、フランスの精神史と文化によって決定的に規定されました。確かにイギリスもその歴史において大きな貢献を果たしています。議会制民主主義がそれです。またアメリカの革命も然りです。ニース首脳会議において各国首脳が荘重に宣言し、私たちがEUの価値基盤に据えようと考えている基本権憲章は、この普遍的価値観の力を反映しているのです。この伝統に基づき、フランスはグローバル化の時代においても、ヨーロッパの文化的遺産、すなわち「文化的多様性」の保護に関してもとりわけ鋭敏な感覚を持っています。この文化的多様性は私たちすべてにとり、きわめて重要です。

しかしここで、ドイツのみがEU拡大の経済的恩恵を受けるという意見に反論させてください。私はそろそろ、旧来の決まり文句を捨て、経済の現実を直視する時期に来ていると考えます。ドイツときわめて密接な関係を結んでいるフランスの国民経済はここ数年間、ドイツ経済以上にダイナミックな発展を遂げ―私たちドイツ人はドイツ統一を克服する務めと意思に縛られていました―、フランス・フランもユーロ導入前の数年間、ドイツ・マルク以上に安定していました。ベルリンの新住民として私が付け加えたいのは、我が家の水道水が世界最大の水供給企業であるフランスの水道会社を水源としているということです。

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しかし歴史上かつてない規模の拡大によってEUは何が変わるのでしょうか。そしてこれはフランスとドイツにとって何を意味するのでしょうか。

27ヶ国のEUは、ローマ条約の共同体(EEC)とも12ヶ国のECとも15ヶ国のEUとも異なる課題に直面するでしょう。欧州統合のプロセスはこれまで常に拡大と深化のバランスをとりながら進行して来ました。創設以来最大の拡大にともない、欧州連合は行動能力を維持し、行動を民主的に確かなものと保証できるよう、その諸機構や決定メカニズムを適切なものに改めねばなりません。さらに拡大と並び、グローバル化の課題も一層大きなヨーロッパの行動能力を要求こそすれ、低下を認めるものではありません。

私は、この議論がここ数ヶ月の間大きな進展を見せたことは注目に値すると考えます。今日もはや、拡大の帰結として一層の深化が必要であることを否定するものはほとんどいません。歴史的なニース首脳会議の意義はEUの拡大と同時に深化への実質的な足がかりをも築いたことにあります。つまり拡大と深化の必須の並行的進行を可能にしたことです。それゆえニース首脳会議は大成功であり、これに対して私たちは議長国フランスに感謝せねばならないのです。

議長国フランスが困難な協議の中でひとつの結論に束ねねばならなかった全加盟国間の否定し難い意見の相違は、欧州統合が直面しているハードルのあらわれです。すなわち、もし拡大がヨーロッパの行動能力を確保するために一層の統合を必須のものとするならば、私たちは効率性ばかりでなく民主的正当性も考慮せねばならないのです。

その際、欧州連合と国民国家の間の関係が、今後数年間のうちに解決せねばならない重要な問題の一つとなるでしょう。なぜなら文化的および民主的伝統を備えた国民国家は、将来においてもヨーロッパの人間にとって彼らのアイデンティティの第一の担い手となるからです。国民国家は言語、文化および伝統の最も重要な枠組みであり、欧州レベルの決定に確固たる民主的正当性を保証するために、大きな欧州連合の中でも代替不可能な重要性を今後も保ち続けることでしょう。他方、加盟国は21世紀には、行動能力を備え、民主的正当性のある欧州連合に本質的な部分で依拠することになるでしょう。

それでは明日のヨーロッパはどのような形をとるのでしょうか?
明瞭な権限分割に基づくスリムで行動能力のある連合、すなわちヨーロッパ、国民国家および地域の間の責任分担がその答えです。しかしこれがすべてではありません。私たちはどのようにしたら、市民のヨーロッパと国民国家のヨーロッパを均等に代表するようなヨーロッパの民主主義を形成できるのでしょうか。行動能力のある欧州の行政とは、どのような形をとり、またとらねばならないのでしょうか。どのように私たちは欧州統合の深化を実現しようとしているのでしょうか。ニースで合意された先行統合の拡充で充分なのでしょうか。政府間協力と統合された機構との関係は将来どのような形をとるべきなのでしょうか。そして統合を進めるこのヨーロッパは、欧州の安全にとって将来も欠かすことのできない合衆国との密接な協力関係をどのように構築するのでしょうか。

これらの問題に関する議論は始まったばかりです。しかも議論が展開されるのは容易な分野ではありません。なぜなら古典的な国法や国際法は、今ヨーロッパに起こりつつある事態に対して何らモデルを提供してくれないからです。

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二番目の問いがこれに加わります。この欧州のプロジェクトは実現できるのでしょうか。現在の段階でヨーロッパの10年あるいは15年後の姿を予測することは誰にもできません。しかし確実に言えることが一つあります。私が将来の課題に対する回答となるよう望み、またドイツ政府が推し進めている欧州統合の完成は、フランスとドイツが協力して取り組む場合にのみ、実現可能であり実現することでしょう。この点に21世紀における独仏関係の代替不可能な意義が存在するのです。私たち同士の良好で密接な隣人関係の必要性は言うまでもありません。

統一ドイツにとっては1989年以前にも増して一層当てはまることがあります。ドイツは自国の利害をヨーロッパ的に定義すればするほど、その実現が容易になるということです。国家国民的色合いを強めるほどに、その要求は不信と拒絶にあう確率が高くなります。ドイツが共同の欧州諸機構の中で信頼される行動をとればとるほど、パートナーの国々、とりわけフランスと共同で自由に行動する余地が広がることでしょう。ドイツ人はヨーロッパ人になりたいかどうか選択する余地はありません。自らの理性に従い、自らの利害を考慮し、自らの歴史から教訓を導き出そうとするならば、ヨーロッパ人にならねばならないのです。ドイツ人に課せられた自制という戒律はベルリンの壁の崩壊によって解かれたわけではないのです。ドイツは統一によって自らの歴史の束縛から抜け出せたわけでもありません。統一ドイツにも引き続き当てはまる事情なのです。

これはまた同時に、密接な欧州間および大西洋の向こう側との協力関係がなければ、たちまちドイツは相手から冷ややかな反応や懐疑を引き起こすことを意味します。この協力相手とは、欧州統合が完成したあかつきには私たちにとってフランス以外には考えられません。この協力関係は他のヨーロッパ人を常に受け入れ、決して排除することはありません。しかし私たちの歴史はヨーロッパにほかに類のないほど、両国を固く結び付け、将来に対する共同の責任を課しています。私たちはきわめて異なった伝統と文化的特徴を有しており、この相違性も、1989年の時代の転換を経て、不変のまま今に存在する要素の一つであることは疑いをいれません。しかしフランスとドイツのそれぞれの長所は、いつも特別のきわめて生産的な関係で補完し合うのです。協力してこそはじめて私たちは今より大きな連合体の中で欧州の推進軸となり、ほかの友人や隣人とともに統合を推し進めることができるのです。

フランスとドイツの絆がインターネット時代においてもヴァーチャルな関係やほかの相手に交替できるような関係ではなく、文字どおり歴史的なつながりであることを、ここフライブルクとライン河沿いの地域ほど良く理解しているところはドイツでほかにありません。50年以上の統合の歩みを経て、おそらくは皆さんの大多数が関わっているドイツとフランスのネットワークがこの地に成立したのです。このネットワークには理性や共通の利害と並んで感情の面での結びつきも含まれます。その一部は、多くの個人的な友好関係や長い年月を経て育くまれた信頼関係なのです。

この信頼の上に私たちはこれからも関係を築き上げるべきです。フランスでは現在ヨーロッパの将来に関して集中的な議論が公に行われています。私は、この公の議論をできるだけ広く共同でも行うことがきわめて重要であると考えます。すなわち、政府、議会、政党、知識人、市民、マスメディアのレベルにおいて。その際大事なのは、性急な結論やあらかじめ準備された結論ではありません。結論はおのずと議論から生まれるでしょう。むしろ、私たちが―この「私たち」は実のところまず私たちドイツ人自身のことですが―ほかの国民にとって新しい大きなヨーロッパに飛び込むことが発想の上で、とりわけまた感情の上で何を意味するかという問題に謙虚に耳を傾け、理解することが重要なのです。しかるのちに私たちは、両国の議会と国民の間で承認を得られるような決定をともに下す運びとなるでしょう。

(仮)訳:中島大輔(C)Daisuke NAKAJIMA

原題:Die Zukunft Europas und die deutsch-franzoesische Partnerschaft,
Rede von Bundesaussenminister Joschka Fischer am 30. Januar 2001 vor dem Frankreich-Zentrum der Universitaet Freiburg

原文は下記のドイツ外務省のアルヒーフより入手可能。
http://www.auswaertiges-amt.de/www/de/infoservice/aktuelles/ausgabe_archiv?type_id=3&bereich_id=0&limit=30

訳者解説

2000年12月7日から11日まで南仏ニースで開かれたEU首脳会議は、閣僚理事会の各国持ち票の再配分、拡大を見据えた欧州委員会の再編、多数決決定の拡大および先行統合の条件緩和という四つの大きな機構改革の課題に関し一応の合意に至り、2003年あるいは2004年からのEUの東方拡大に道を開いた。

このニースに至るまでのEU機構改革論議において、ドイツはとりわけヨシュカ・フィッシャー外相が、閣僚理事会における多数決決定の大幅な拡大、欧州委員会の行動能力の確保、および希望する国々が他の国より早く欧州統合の道を歩むことを可能にする先行統合の条件緩和を主張し、拡大を受け入れる体制をすみやかに構築するよう訴えた。1)閣僚理事会の票配分の問題では、「欧州連合の少数の市民が大きな国々の多数市民に反対する形で決定を行えるような事態が生じてはならない」として、独仏間の票のみならず包括的に票配分を見直すよう繰り返し要求した。2)また、2004年に新たな改革ラウンドを開始できるよう、EUと国民国家、地域間の権限分割を画定するための新たな政府協議の開催を求めた。3)

これらのドイツ側の要求はニース合意では不充分ながらも一定の実現を見た。閣僚理事会の票配分こそ他の三つの大国と同じ29票に甘んじたものの、閣僚理事会の決定はEU人口の62パーセントを代表せねばならないとする条項が定められたことにより、ドイツは他の二大国を伴えば決定を阻止できる唯一の国となり、はじめて四大国の中で突出した比重を占めることになった。

すでに11月の段階で、将来の欧州ビジョンを視野にEU改革を唱えるフィッシャー外相とフランスのユベール・ヴェドリヌ外相の間に不協和音が伝えられていた4)が、ニース首脳会議以降はその合意内容や会議の運営をめぐってドイツとフランスの間で新たな軋轢が生じた。フィッシャー外相は票配分をめぐる議事に関し、「フランスの議長のもとでは種々の提案ができなかった、そのため首脳会議はあやうく決裂に至るところであった」とシラク大統領の首脳会議の議事運営を批判した。5)一方、ニース会議後フランスの新聞はドイツに「あまりに大きな権限を与え、フランスを孤立させた」としてシラク大統領を非難した。「首脳会議はドイツ有利に進み、ドイツは欧州の真の柱を自負することになった」と経済紙『ラ・トリビューン』は報じ、保守系の『ル・フィガロ』紙は「ドイツは今後欧州の支配的勢力となり、拡大によりこれまで以上にEUの地理的および政治的中心を占めることになる」とニース合意を分析した。6)

ニース合意全般に関しても、欧州委員会のプローディ委員長や欧州議会のフォンテーヌ議長、フリードリヒ副議長を始めとするEU改革の推進派からは、合意内容と議長国フランスの会議運営に対して厳しい批判が浴びせられた。欧州委員会と欧州議会の批判はとりわけ、議長の調整能力の欠如から会議が各国の利害むき出しの「政治的取引」に終始した結果、多数決決定の拡大(拒否権削除)が不徹底に終わったこと、また欧州議会の役割強化がはかられなかったことに向けられた。7)このため、欧州議会や各国議会にはニース条約に賛成票を投じないことを表明する党派や議員もあらわれた。フリードリヒ副議長は改正を条件に条約を承認する意向を示し、1年から2年かかる批准プロセスの間に条約の修正を行うよう求めた。8)またドイツの自由民主党(FDP)は多数決決定と欧州議会の共同決定の問題に関するEU特別首脳会議を2002年にも開催するよう要求し、このままのニース条約には賛成しない姿勢を示した。9)

さてニース後のこうした甲論乙駁の状況の中で、フィッシャー外相はあらためて関係国との間で調整を行い、東方拡大を可能にするニース条約の承認・批准をはかろうと試みているようである。英国との関係では、すでにこの演説に先立つ1月24日、「独英2000年賞」(German-British 2000 Award)の授賞式において、「国民国家は欧州レベルの決定に信頼性と民主性を保証するため、欧州連合においてつねに代替不可能な存在として存続する」と述べ、EUが主権者として国民国家に取って代わるのではないかというイギリスの「妄想」を否定した。またクック英外相と会談を行い、EUの将来の権限分割に関して、欧州連合の権限は国際的な問題に、加盟国の権限はそれぞれの国内問題に集中すべきであるという点で意見の一致を見たという。10)

そしてニース会議以降はじめての独仏首脳会談を翌日に控えた1月30日、フィッシャーはライン対岸にアルザスを望むフライブルク大学において、この「欧州の将来およびドイツ・フランスの協力関係」と題する演説を行った。

まず注目されるのは、拡大と深化をにらんだニース条約の意義に正当な評価を与え、欧州統合におけるフランスの歴史的貢献を称えつつ、将来にわたる独仏関係の重要性をあらためて強調している点である。ニース首脳会議の結果に関して「EU内の重心の移動」や「勝者・敗者」を取り沙汰する報道を「誤った解釈」と退け、ニースは「拡大と深化の必須の並行的進行を可能にした」点において「大きな成功」であると肯定的に評価し、議長国フランスの功績を称える。そしてEUが発足当初から理念の上でも成立の経緯の上でもフランス的特徴を付与されており、その基本的価値は基本権憲章の形で将来のEUの礎となると述べる。一方フランスの「宿敵」たるドイツに関しては、ドイツは冷戦による分断を克服した拡大後の欧州においてこそ将来にわたり不動の場所を占めること、また国家国民的要求を欧州全体の利害と結びつける場合にその実現が容易になり、欧州の信頼を勝ち得ることが可能となると主張する。したがってドイツ人にはヨーロッパ人以外の選択肢はなく、その際最大のパートナーは将来においてもフランス以外にありえないと力説する。そして「欧州統合の完成はドイツとフランスがこれを共通の課題として取り組む場合にのみ成功する」と述べ、統合の牽引車たる独仏関係の再構築を訴える。

欧州の将来像に関しては昨年5月12日のフンボルト大学における演説11)に特に新しい内容を加えるものではないが、「欧州統合の完成」は「将来の大きな課題に対する回答」であるとしながらも、あらためて自説を声高に主張するのではなく、むしろようやく始まったこの議論を市民を含めたあらゆるレベルで広範に展開すること、またとりわけドイツ人には各国における議論に対し謙虚に耳を傾け理解する姿勢が求められることを勧告している。数日前の「独英2000年賞」授賞式において、将来も国民国家の意義が失われないことを述べ、統合に対するイギリスの懸念を払拭しようと試みたのと同様、ここでも、EU拡大が具体的な視界に入った現在、欧州統合に対し及び腰になった感のある隣国に対し、フィッシャーが並々ならぬ配慮を払っていることが窺えよう。

なおこの演説の翌31日にはストラスブール近郊ブレシェイムで独仏非公式首脳会談が開かれ、両国共同の欧州政策のガイドラインに関して協議が行われた。両首脳は今後は6週間から8週間の間隔で非公式会談を持ち、両者の欧州政策を協調させることに合意したという。ベルリンの政府筋は、この会談によって「独仏の空に湧き昇った暗雲」は消え去ったと伝えている。12)またシラク大統領は、「統合、深化 − 言い回しの違いこそあれ、これらはわれわれが築かねばならぬ現実を指しており、これは今日のグローバル化に対する回答でもある。この一般的ビジョンにおいてフランスとドイツの間には深い了解が存在する」と語ったという。13)フィッシャー外相も「ブレシェイム以後、独仏エンジンに代わるものがないことが明らかになった。今や拡大したヨーロッパを共同で前進させる可能性がすべて揃った」と首脳会談の成功を評価した。14)

また欧州の将来像をめぐってはフィッシャー外相の主張に沿う形で、2月13日プローディ欧州委員長が欧州議会において、共通の欧州ビジョンに欠けるとEU各国の政府を批判し、EU市民を含めEU内で欧州の将来像に関し「広範で原則的な議論」を行う必要があると訴えた。プローディは論議が二つの問題に集約されると指摘し、「われわれは単なる経済的統一にとどまらず、政治的統一も目指そうとしているのか?第二に、どの程度までわれわれは社会的経済的相互連帯を行う心づもりがあるのか?」この問いはきわめて政治的なもので、単に憲法に関する問題にとどまらない、と主張した。15)

個人的には、1970年代の左翼デモにおける暴力的な行為が明るみに出て、野党のキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)などから批判を浴びているフィッシャー外相ではあるが、昨年5月のフンボルト大学での演説に対し1月24日に「独英2000年賞」を受賞したのに続き、2月6日には70名のフランスの政治ジャーナリストによって「今年のヨーロッパ人」Europaer des Jahresに選ばれた。同僚にあたるフランスのユベール・ヴェドリヌ外相も「今年の政治家」賞Politische Persoenlichkeit des Jahres を受賞した。16)


依拠したニュースソースを次に掲げる。
1) Fischer warnt vor Verschleppen der EU-Erweiterung, ロイター,2000年11月14日 15:33およびFischer : Misserfolg bei EU-Gipfeltreffen in Nizza ware schlecht fur Euro, ドイツ通信社‐AFX,2000年11月20日 13:50
2) Fischer : Neugewichtigung bei Stimmverhaltnis in EU-Rat notig, ロイター,2000年11月30日 22:03およびFischer fur umfassende Stimmen-Neugewichtigung in der EU,ロイター,2000年12月3日 20:30
3) Fischer warnt vor Verschleppen der EU-Erweiterung, ロイター,2000年11月14日 15:33および Uneinigkeit vor Beginn des EU-Reformgipfels in Nizza,ロイター,2000年12月6日06:25
4) Fischer und Vedrine sprechen sich aus, AP, 2000年11月24日 15:24。この報道によればヴェドリヌ外相はフィッシャーの欧州ビジョンをハーメルンの笛吹き男を連想させる「笛吹きの約束」になぞらえたという。
5) Nach EU-Gipfel kritisiert Fischer Haltung Frankreichs,ドイツ通信社,2000年12月15日 15:06
6) Chirac verteidigt EU-Gipfel gegen Kritik,ロイター,2000年12月12日 19:20
7) Ergebniss von Nizza trifft auf Kritik und Zustimmung,ロイター,2000年12月11日 17:43、Prodi kritisiert Nizza-Ergebnis,ドイツ通信社,2000年12月12日 11:30、Gipfelergebnisse gehen Fontaine nicht weit genug,ドイツ通信社2000年12月12日 07:27、 Europaparlaments-Vizeprasident verlangt Nachbesserungen,ドイツ通信社,2000年12月12日 07:58、Scharfe Kritik aus der EU-Kommission an Frankreich,ロイター,12月14日 19:02など。
8) 上記Europaparlaments-Vizeprasident verlangt Nachbesserungen
9) FDP fordert EU-Sondergipfel zu Mehrheitsentscheidungen,AP,2000年12月15日 13:13
10) Fischer : EU wird kein Supermacht,ロイター,2001年1月24日 21:01
11) Fischer, Joschka: Vom Staatenverbund zur Foderation - Gedanken uber die Finalitat der europaischen Integration(拙訳:「国家連合から連邦へ−欧州統合の最終段階に関する考察」,鹿児島大学経済学会編『経済学論集』第53号,269〜282頁,2000年11月)
12) Europarede Moscovics trifft bei Bundesrepublik auf Zustimmung,ロイター,2001年2月2日 15:07
13) Fischer als Europaer ausgezeichnet,ドイツ通信社,2001年2月6日 22:58
14) 同上
15) Prodi wirft EU-Staaten fehlende gemeinsame Europa-Vision vor, ドイツ通信社-AFX, 2001年2月13日 15:43
16) 上記Fischer als Europaer ausgezeichnet

なお、本稿および解説で引用したニュースの邦訳は下記のホームページに掲載している。http://ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/nakajima/schritt01.html

(C)中島大輔 NAKAJIMA, Daisuke (2001)